Atlessのアトラス

アート中心に思考したことを書いています。Atless GALLERYで作品を常設展示中。

少女が失った輪郭は、鑑賞者が失った記憶

今日もお疲れ様です。

 

イケムラレイコさんの『横たわる少女』シリーズは、輪郭の失われた少女が描かれています。

(『東京国立近代美術HP』http://www.momat.go.jp/Honkan/Leiko_Ikemura/sideb/

 

少女は、うつむきで横たわっています。

背景は単色で描かれ、景色はありません。

 

情報が非常に少ない絵画です。

顔の中も服の模様も場所も、ほとんど特定できないほど省略されています。

 

しかし、画面を見続けてしまう「何か」があります。

 

その「何か」は、

“鑑賞者の失った記憶” の形だからです。

 

イケムラレイコさんの描く “輪郭の失われた少女”は、鑑賞者自身の “あいまいな” 記憶を喚起します。

 “あいまいな” 記憶を喚起された鑑賞者は、鑑賞者自身の失われた記憶を求めるように、輪郭を失った少女の姿を眺めます。

 

そして、考えることになります。

なぜ、少女は横たわっているのか。

疲れているのか、眠くなったのか、遊んでいたのか、悲しんでいたのか…。

 

失われた記憶が簡単に戻らないように、その少女の感情や状況や背景を求めることはできません。

まるで鑑賞者自身が、少年少女時代の記憶を求めることが、できなくなってしまっているように。

 

しかし、少女の背景を求められないことに、苛立ちは不思議と感じません。

なぜなら鑑賞者は、失われた記憶が簡単には戻らない事実を受け入れて生きているからです。

記憶の諦念の中に生きる鑑賞者は、少女の背景を求められないことを受け入れるのです。

 

 

人は年齢を重ね生きていくうちに、色んな経験をします。

経験は記憶となって残っていきますが、永遠ではありません。

 

新しい記憶と引き換えに、小さな記憶や昔の記憶は、少しずつ失われていきます。

はっきりと覚えていた昔の映像は、少しずつ形を失っていくのです。

 

イケムラレイコさんの『横たわる少女』シリーズは、記憶という輪郭が確実に失われていく事実を、鑑賞者に突きつけているのです。

 

 

 

では、何かあれば教えてね!