Atlessのアトラス

アート中心に思考したことを書いています。Atless GALLERYで作品を常設展示中。

高級ブランドに無意識に手を伸ばす傾向

今日もお疲れさまです。

“わかりやすい驚き” を持つ作品は、テレビなどのマスメディアが取り扱いやすい、という話を前回かきました。

加えてテレビなどのマスメディアで取り扱いやすい作品としては、もう一つあります。

それは、“ブランド化された作品” です。

ここでいうブランドは、“高級ブランド” の意味合いです。
ルイヴィトンやエルメスなどに対していわれるブランドと、同じ意味です。

日本のマスコミにとって、海外の権威ある組織は無条件で高級ブランドです。
その高級ブランドである海外のマスコミや組織が評価したものは、疑いなく日本のマスコミは評価することになります。

そして、“わかりやすい驚き” を持つ作品を扱うのと同様に、海外の評価を受け “ブランド化された作品” も、テレビ番組や紙面に露出されます。


実は、この現象も“わかりやすい驚き” と同じくくりです。
“海外で評価された” という話を聞くだけで、多くの日本人は「それはすごい!」と驚くことになるからです。
そのように簡単に多くの人が驚いてくれる “ブランド化された作品” を、マスコミが扱わない手はありません。

しかし、海外で評価されたからといって、本当に評価されるべきものなのかは、やはり日本国内で検証する必要があります。

一体何が評価されたのか、と。

なぜなら海外にしても、結局 “わかりやすい驚き” に反応する多数の人は、多く存在します。
欧米だからといって、全員がアートの価値を把握している賢者ばかりではないのです。

無条件に海外の評価を受け入れるのは、“評価の評価を避ける行為”です。
海外での評価の理由をしっかりと評価しなくてはいけません。

そうした海外の評価を検証する有識者は、まだまだ少ない印象です。

この誰かが評価したものを再度評価する、という問題。
いわゆる、“評価の再評価” は、海外の評価だけがきっかけではありません。

国内で評価されたものを国内で評価する、というケースも意外と多いのです。
“評価軸をしっかり持った” 日本の評論家やギャラリストや作家はちゃんといるのですが、その人たちの評価を再評価するだけの評論家やギャラリストや作家もちゃんといるのです。

誰かが評価したものを無条件に評価することは、“自分の評価軸”を持たないことになります。
誰かの評価に乗っかるのは楽です。
しかし結果として、言動に整合性が取れず、信頼を失うことになってしまいます。

マスコミはメディアの特性上、評価に乗っかって検証する時間を短縮しなくてはならない事情があるでしょう。
しかし、アートの世界は、評価することが鑑賞の要素であり、楽しみです。
それをあらかじめ誰かに委ねるのは、つまらないことではないでしょうか。


では、何かあれば教えてね!