Atlessのアトラス

アート中心に思考したことを書いています。Atless GALLERYで作品を常設展示中。

困難を見せて、アートを見せられない悲哀

今日もお疲れさまです。

 
前回は、“困難な行為による描き方” を売りにしている方、について書きました。
今回は、その根本となる話です。
 
 
“困難な行為による描き方” は、最大公約数の多くの人を驚かす作品作りであることを、前回書かせて頂きました。
それは言い換えると、“作品が仕上がるまで” を人に見てもらおうとする行為です。
 
塗装用のローラーだけで絵を描く。ダンスしながら絵を描く。ローラースケートに乗りながら絵を描く。といったものが、 “作品が仕上がるまで” を人に見てもらおうとする行為です。
 
しかし実は、“困難さがわかる仕上がり” を売りにしている方も、多く存在します。
 
米粒に絵を描く、新聞紙だけで彫刻を作る、などです。
 
紙やキャンバス、彫像用の木材ら石材、といった通常使用される支持体を、あえて使わないのです。
通常使用しない支持体を使用しないは、大きな困難をともないます。
鑑賞者は見た最初に、その “困難さ” に気づくことになります。
つまり、その困難さを見てもらう作品になっている、ということです。
 
これらは、一歩ズレると、極めて “薄いアート” になります。
“薄いアート” となっている作品は、“困難な仕上げかた” による「驚き」が大半の要素です。
そのような作品は、アートとして新しい価値となる要素は、ほぼありません。
 
そして、“困難な仕上げかた” をすると、周囲はその困難さを必ずほめてくれます。
「米粒に絵が描けるなんてすごいね」
そのため、「この表現が正しい」「これを続けるべき」とますます自分の表現に確信を持っていくことになります。
その結果、テーマやコンセプトなどの内容が軽視されてしまうのです。
 
“困難な仕上げかた” をしている作品について、否定しているわけではありません。
誤解のないように付け加えるなら、“作品のクオリティー” に、“困難な仕上げかた” が繋がっていれば、まったく問題はないのです。
 
クオリティーとは、表現とテーマの一体感、コンセプトの強さなどです。
これらのために “困難な仕上げかた” があるのなら、むしろ素敵な効果として作用します。
基本的に “困難な仕上げかた” は、作品の質量を上げる可能性が高いからです。
 
そうしたアートとしてのクオリティーがなく、最大公約数の多くの人を驚かすことだけが目的になると、結局 “内容の薄い作品” になってしまいます。
 
“困難な仕上げかた” を選ぶ場合、その“困難さ” が必然性を持っているか、しっかりと検証することが重要です。
 
 
では、何かあれば教えてね!