Atlessのアトラス

アート中心に思考したことを書いています。Atless GALLERYで作品を常設展示中。

行為を見せて、アートを見せられない悲哀

今日もお疲れさまです。

 
先日、あるバラエティ番組で「ローラーだけで絵を描く」という方が出演していました。
世界でも注目されている方のようで、実に器用に絵を描いていました。
たて2m、横6mほどの大きなパネルに、塗装用のローラーだけで作品を完成させていました。
 
完成された絵画は、番組を飾るタレントたちの顔です。
その数名のタレントの顔を、数色のペンキで描き分けていました。
顔の見本は、宣材写真か雑誌かCDなどの写真です。
 
この作品に対する感動ポイントは、1点のみです。
 
それは、「ローラーという描きにくい道具で、ある程度の器用な絵を描ける」という点です。
 
つまり作品のそのものの質は、ほぼ問われていません。
誰かの撮影した写真を、なるべく細かく写しているだけです。
描いた方本人のこだわりもなければ、テーマやコンセプトもありません。
 
たとえば、このローラーで描かれた作品を、“ローラーだけで描いた” ということを知らない人たちが見たとします。
すると恐らく、タレント好きな方が描いた絵なんだな、という認識以上のものはないでしょう。
さらに、絵画の制作経験がある人から見れば、“下塗りで終わった未完の絵” という認識でしょう。
 
たとえるなら、筆を口にはさんで、書道初段レベルの字を書くのと同じです。
普通に綺麗な字ですが、口で書いている行為を見なければ、“書道初段レベルの字” という以上の価値はありません。
もちろん、武田早雲さんの字に感じるような感動が、あるはずもありません。
 
 
こうした、制作時の「困難な行為」を強調する制作者を、否定するつもりはありません。
しかし、往々にして“困難な行為による描き方” を売りにしている方は、作品の創造性に関心はないようです。
“困難な行為による描き方” で、ある程度の絵を仕上げることだけを目的としています。
 
数年前、ダンスをしながら似顔絵を描く、という方がいました。
アップテンポの曲に頭を振りながら、大きめのパネルに、黒の絵具で似顔絵を描いていました。
こちらの方の作品は下絵にもなっておらず、黒絵具のクロッキー、といった完成度でした。
 
そして興味深いことに、この方も見事にテレビ出演を果たしていました。
 
テレビは、多くの人に見てもらうため、最大公約数の驚きを提供します。
そのため、今回挙げさせて頂いた方たちのような、「多くの人にわかりやすい困難さ」と「多くの人が知っている絵を描く行為」を掛け合わせた表現を番組製作者は好むのです。
 
それが、最大公約数の多くの人に、短時間で驚きを提供できると、製作者は把握しているのです。
 
当然、“多くの作品を見てきた人にしか価値が分からない” 作品を描くアーティストに、テレビ出演の機会がほとんどないのは言うまでもありません。
 
しかしながら、
最大公約数の多くの人を驚かす作品作りと、一部の人だけが理解して驚く作品作り。
この二つで、作品として魅力があるのは、後者です。
 なぜなら結局、“困難な行為による描き方” を売りにしても、最後に比較されるのは “描かれた作品だけ” だからです。
 
 
では、何かあれば教えてね!