Atlessのアトラス

アート中心に思考したことを書いています。Atless GALLERYで作品を常設展示中。

不気味な絵なのに、絶大な支持を得る理由

今日もお疲れさまです。

フランシス・ベーコンの魅力の本質を検討します。
 
フランシス・ベーコンは、若者から年配の方にまで、幅広い層に人気のあるアーティストです。
決してポップな絵柄ではなく、むしろ相当不気味であるにもかかわらず、なぜ幅広い世代に人気なのでしょうか。
 
フランシス・ベーコンといえば、以下の作品に見られるように、「歪んだフォルム」「歪んだ表情」が大きな特徴です。
 
ベラスケス『教皇インノケンティウス10世の肖像』に基づく習作1953)では、
教皇が表情を歪ませ絶叫しているさまが描かれています。
 
<ジョージ・ダイアの三習作(1969年)では、
男性のねじれた頭部が三方向から描かれています。
 
 キリスト磔刑図のための3つの習作1944)では、
 人間かどうかわからない、口だけの生き物が拷問に合い、絶叫するさまが描かれています。
 
これらの作品は、不幸であり絶望的であり、どれも不気味です。
にもかかわらず、ずっと見入ってしまう 「何かがあります。
 
その「何か」とは何でしょうか。 
 
それは、“ 個の不在 ” です。
 
フランシス・ベーコンの作品は、個人を特定できるところまで、具体的に顔が描かれていません。
鑑賞者は、知らない誰かの顔であっても、顔という「個」が描かれていれば、鑑賞の「拠り所」が得られます。
それくらい、顔という「個」の存在は絵の中で強い要素であり、安心感を得ることにもつながるのです。
 
しかし、フランシス・ベーコンの作品は、表情の出所である「顔がはっきりと存在しないため、いくら絵の中の人物を眺めても、“個” に辿り着かないのです。

それは、鑑賞者にとって、とても不安なことです。

 
しかし同時に、鑑賞者は「特定の誰か」を認識する必要がなくなります。
「顔」を拠り所にする、というルールから、解き放たれることになるのです。
 
鑑賞者は、「特定の誰か」に縛られることがなくなり、長いストロークで描かれたタッチの流れや、モチーフのフォルムの美しさを楽しむことができるのです。
 

フランシス・ベーコンは、作品における対象の “個” を消したことにより、絶大な支持を得ているのです。

 
では、何かあれば教えてね!