Atlessのアトラス

アート中心に思考したことを書いています。Atless GALLERYで作品を常設展示中。

美的センスは「変わる」ではなく、「増える」

今日もお疲れさまです。

 
人は、生まれてからずっと変化し続けます。
外見、能力、考え方、価値観…。
 
中でも美術に関するもので変化するものといえば、
 
“美しいと思うもの” です。
 
例えば、Aさんという人は、学生時代に絵画鑑賞に目覚め、歴史上の絵画を勉強します。
 
その中で、「印象派」のアーティストたちの色遣いにとても感動します。
Aさんは、「印象派」の作品を “美しい” と思ったのです。
 
Aさんは、「印象派」について徹底的に学び、鑑賞したため、違う流派や時代の作品を勉強することにしました。
 
次にAさんが、美しいと思ったのは、「フォービズム」のアーティストたちの作品でした。
マチスの、原色に近いハッキリとした色合い、奔放にデフォルメされた輪郭。
 
その色合いやデフォルメの形に美しさを感じたとき、自分に新しい “美の感覚” が持てたことをAさんは誇らしく思いました。
 
「フォービズム」にハマるAさんに対し、友人のBさんは言いました。
「あれ、印象派がキレイキレイ、って言ってたのはどうなったの?」
 
Aさんは答えます。
「印象派も良いけど、いまは、フォービズムのキレイさにハマってるよ〜」
 
Aさんは答えながら、自分の意識の中で「印象派」への美意識が下がったと感じずに入れませんでした。
 
やがてAさんは、「表現主義」のイヴ・クラインやサム・フランシスの “新鮮な色彩” にはまります。
そして同じように、「フォービズム」への美意識が下がったと感じるのです。
 
 
いかがでしょうか。
 
Aさんのような経験をされた人、いるのではないでしょうか。
 
この経験は、
自分の “美しいと思うものは変わる”
という考えに至りがちです。
 
 
はたして、本当に自分の “美しいと思うもの” は “変わる” のでしょうか。
 
現在美しいと思ったもの、次に美しいと思うもの。
人は、「次に美しいと思ったもの」を評価しがちです。
 
なぜなら、現在のものは “すでに知っている“ もののため、次に “新しく知る” ものには勝ちにくいのです。
 
しかも人は、“発見したもの” に特別な価値を見いだそうとします。
これは、労力の対価を求めるため、特別な価値と考えるのです。
 
つまり、現在美しいと思ったもの、次に美しいと思うもの、にはハンデがあるのです。
 
もし、先ほどのAさんが、「印象派」以外見られない環境に数年間置かれたらどうでしょうか。
「表現主義」「フォービズム」も見られない環境で、もう一度「印象派」を振り返って鑑賞したとき、きっとAさんは “美しい” と強く感じるでしょう。
 
つまり、Aさんの “美しいと思うもの” は変わったわけではないのです。
「印象派」の色彩のほかに、「フォービズム」や「表現主義」を美しいと思う感覚が、“増えた” のです。
 
たとえば、“過去に美しいと思ったもの” と “今、美しいと思っているもの” を冷静に比較したとします。
 
それでも、“今、美しいと思っているもの” が上と感じるなら…。
それは、もともと自身の持つ美的センスに “フィット” したものが見つかったということです。
 
このように、“美しいと思うもの” は変化するのではなく、新たに “美しいと思うもの” が増えていくのです。
 
そして美的センスは、変化させるのではなく、増やしていき、“比較” することで、本当の “自分の美的センス” に気づけるのです。
 
 
では、何かあれば教えてね!