Atlessのアトラス

アート中心に思考したことを書いています。Atless GALLERYで作品を常設展示中。

歴史に挑む、真実の人物画

今日もお疲れさまです。 

人物画には、たいてい “美化” された人物が大半です。

そんな中、ジョン・カリンさんは、不思議な人物画を描きます。
まず初見でわかることは、描かれる人物が “美化” されていないのです。

歴史を振り返れば、ルネッサンス期など、“神” の姿としての人物画は、整った目鼻立ち、整った身体つきを持つパーフェクトなプロポーションを持つ人物が描かれていました。

たしかに20世紀に入り、ただただ完璧なプロポーションを持つ美化された人物画を描くのではなく、生活の状況を表す人物画や、喜怒哀楽を伴う人物画は登場してきました。

しかし、ジョン・カリンさんの作品は、人物そのものの生まれ持った容姿の特徴が描かれています。

その容姿は、俗に言うと “劣等感” を持ってしまうものであり、世間一般の美男美女とは違います。

とはいえ、一般の人は当たり前にどこか劣等感を持って生きているのであり、劣等感を持っているであろう人物画は、極めて “当然の人物画” ともいえるわけです。


果たして、ジョン・カリンさん本人が、容姿に特徴ある人物を “美しい” と感じて描いているのか。

あえて、これまでの絵画の歴史に疑問を投げたのか。


ジョン・カリンさんの絵画を見ると、上記のような疑問と、その特徴あるモデル容姿に、時間を忘れて考えさせられるのです。

すなわち、「何だコレは!?」という思考に浸からせてくれる絵画です。

その時点で、彼の現代アートとしての絵画に魅了されているわけです。


以前、現代アートの魅力は、“ 何だコレは!?” と考えることができることです。
このことは、以前のエントリーでも書きました。

これまで暗黙でタブーとされていた人物画にチャレンジした上、現代アートのお手本ともなる人物画をジョン・カリンさんは描いているのです。

大事なポイントは、ジョン・カリンさんがモデルにしてきたようなタイプの人たちは、“これまでもの歴史の中に、ずっといた人たち” だということです。

ジョン・カリンさんのような作品を観賞すると、
“当たり前” をあぶり出すことが、いかに困難で、新しさに満ちているかを知ることができるのです。


では、何かあれば教えてね!